第9回 ああ、覚悟の「福竹」劇場へ。

このお好み焼きの各店に行くには

いい意味ではあるのだが、

相当の覚悟が必要である。

第一に遠い、遠い、五反田から池上線で蓮沼まで、

知らない人は知らない、超マイナーなこの東急線に

今年になって、はや3回めの乗車。

いずれもお好み焼の各店「福竹」のお好みに魅かれてである。

旨いものにありつくには苦労はつきもの、

遠さは序の口、

この店のその半端ないところを話そう。

やっとこさ蓮沼へつく。

]踏切を渡れば右手に赤い「お好み焼」の程打が見える。

このアプローチはいい。

またあのお好みが食えるという期待感が一気に湧いてくる。

いつも一番客である。

娘さん、お父さんが

愛想良く迎えてくれるが、あの名優お母さんはまだお出ましにならない。

主役はいつも最後だ。

これもいい意味でだが、この店の主役はお客ではない、

あくまでもお母さんなのである。

店には小上がり風の5卓(鉄板)しかない。

無理すれば1卓6人はすわれる。

いかにも大阪のお好み焼屋風であることは

言うまでもない。

注文は聞かれるがいつの間にかというか、

必然というか、それはそれで嬉しいのだが、

店の言うがまま、いや、おすすめのとおりになる。

だから、だいたいいつも1、2品を除いて

同じものを食べることになる。

つまみ2~3品、お好み2枚、焼きそばが

レギュラーかな、大勢でいくといろいろ頼めるし、

1品のポーションも大きくなり、その方が旨いし、

絶対おすすめ。

間違ってもカップルで、はありえない。

ま、鼻っからそんな客は来そうもないけど、

お好みは時間かかるから最初に出てきて、

焼きを開始する。

ここで初めて主役のお出ましになる。

お好みを口にできるのはずっと後だ。

焼く権利はお母さんにしかない。

客はいっさい手出しできない、

お母さんの焼きは素晴らしい。

だからあきらめがつく、芸術的だ。

さらに、難関が待ち受けている。

お母さんのしゃべりだ。

度肝を抜かれるというか、

ここの言葉の連写乱射をくぐり抜けた者だけが

最後の果実にありつける。

絶えて待つ。

それは、本格的なフレンチを食べるときにも負けない、

忍耐力が要求される。

お母さんのしゃべり芸は敵なしだ。

とどまるところを知らない。

常連になってもかなわない。

料理、素材に始まり、

その生産地について、調達の苦労ばなし、火加減。

焼のタイミング、スパイスの配合と

終ることないパフォーマンスが続くのだ。

ただの説明ではなく、客を会話に巻き込み、

時に舌鋒鋭く、難関を投げかけてくる。

どこかで間違って人生論に及ぶこともある。

下手に返答しようものなら倍返しどころか

立ち上がれないまでの言葉の雨荒らしでやり込められるだろう。

お好みを食べにきてなんでここまで言われなきゃいけないの?

なんて思うのは素人。すべてお母さんの

シナリオ、思惑通りなんだから。

所詮、この人生経験ゆたかなお母さんに

口で勝てるわけもないのだ、と気づいたときに

「福竹」の立派な常連になっているのである。

耐えること悠に1時間は超えて、

晴れてお好みにたどり着いたときは

それはそれは何とも言いようのない至福に出会えるのである。

悠然たるご立派なお姿、

ふわふわ、旨味が脳天に抜けていく。

逝ってしまうのである。

開業26年という、東京人が浪速の

お好み焼に惚れ、新幹線で夫婦で大阪に8年も

通い詰めてこの旨さを会得したという苦労話を聞かせてもらった。

この味を守るために季節ごとに日本中のキャベツを

探し歩いたという、そういった山ほどあるエピソードを

聞きながら、お腹いっぱい今夜も満足した。

お好みを食べに行くのか、

お母さんにいじられに行くのか、

「福徳」に。

若山憲二


蓮沼「福竹」 TEL:03-3739-4064